03. 劣等感地獄のはじまり

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

03. 劣等感地獄のはじまり

戸山高校入試の話に戻すと、後は学力テストがありました。普通、戸山高校を受ける人なら平均450点は取っていました(5科目、1科目=100)。しかし、わたしは数学で失敗してしまい55点しか取れませんでした。だから総合で410点しか取れなかったのです。これで早大学院をうけるなんてお笑い草でした。学力だって大したものではなかったのです。本当なら、410点だと危ないところだったのですが、内申点が47と丸得もついて非常に高かったので、確か390点以上なら合格であったと思います。結果は何とか合格することができました。

 

「彼」も戸山を滑り止め(※1)で受けていたので一緒に合格発表を見に言ったのですが、本当に受かっていてよかったです。落ちていたら、また、どんなひどいことを言われたかと思います。

合格発表の帰りがけ、わたしは「彼」に、「順一が戸山に受かるなんて、戸山も落ちたもんだよ」と言われました。

 

もともと、学力もなくほとんどラッキーの内申点で、わたしは戸山高校に入ったのでした。つまりわたしが言いたいのは、わたしは実力相応のところで戸山に入ったのではなく、いくつかのラッキーが重なってたまたま戸山に入ることができたということなのです(※2)。実力不相応ということはわたしよりもみんな頭がよい(知能指数が高い)人が来ているということなのです。そしてこのことは次のことからも言えると思います。つまり当時、戸山受験者の八割は国立の高校(筑波大学付属駒場高校、筑波大学付属高校、東京学芸大学附属高校等)や有名私立高校(開成高校、慶応付属高校、早稲田付属高校等)の滑り止めとして受けていたのであって受かってもそんなにうれしくないのです。ところがわたしにとって戸山に受かったことは3年間真面目に勉強や課外活動をやった唯一の成果であって、わたしにとってはもったいない位うれしいことなのでした。同じように入学してきたと言っても内面的にはこんな大きなギャップがあるのでした。

 

そして、周りはみんな頭のよさそうな人(実際頭がよい人がほとんどでした)ということは、わたしに非常なコンプレックスを与えました。中3の時に、徹底して頭が悪いといわれ続け、頭が悪いやつは人間のクズなんだと思いこまされたわたしにとって、戸山高校すべてが劣等感の対象となったのでした。だから戸山高校に入ったことは必ずしもラッキーだったとは言えないのです。わたしは極度の劣等感地獄の中で生きてゆかなければならなかったのです。

 

最後に、わたしは先ほど戸山高校にラッキーで入れたと言い、その内訳を話しましたが、そもそもラッキーという言い方自体誤りだと言えると思います。つまりラッキーということのうちに、偏差値の高い有名な高校に入るのはよい、という先入見が入っているのです。しかし、この先入見はなんの根拠もない空虚なものなのです。偏差値の高い高校に入るということは、それ自体では決してよいことでも悪いことでもないのです。

それをただ無条件によいと考えて偏差値を上げることばかり考えて、それに一喜一憂するというのは、本当は虚しいことなのです。そうすることは実は悲しいことなのです。

 

しかし、そのことに気づくのに、わたしは後4年の歳月を待たねばなりませんでした。

 

(※1)「彼」は第一志望の慶応義塾日吉高校に合格進学しました。

(※2)この文章を書いたのは、1994年ごろです。当時はまだ自己否定的な要素が文章の中にも色濃く残っているとは思います。見方を変えればそういう運を招くことができたのも何かしらわたしに能力があったからなのかもしれません。しかしまあそれ(自己否定的)が1994年当時のわたしの真情だったのだと思います。

 

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