28. 相対的なもの

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

28. 相対的なもの

わたしにとって衝撃的なことが起こりました。11月のある日だったと思います。朝の授業を受けるためにわたしはいつものように家を出て予備校へ向かいました。校舎のビルの前まで来て、扉を開けて中に入ってゆきました。するとその日は10月にあった校内の実力テストの結果発表の日であることがすぐに分かりました。教室の壁に成績優秀者の名前が張ってあったのです。わたしは大して関心もなくちらっと見て、すぐに行こうとしたのですが、すぐに引き返してもう一度その張り紙を見ました。するとやっぱり載っていました。わたしの名前です。しかも、一番上のところに載っていたのです。何とわたしは、総合で一番の成績を取っていたのです。英、国、世界史の3科目だったのですが、さらに国語も最高得点を獲得して名前が載っていました。わたしは思わぬ結果にびっくりしました。信じられないという感じでした。まぐれだな、と思いました。しかし、うれしい気持ちがこみ上げて来ました。斎藤君もその日の授業は同じだったので、わたしは斎藤君が来るのをワクワクしながら、席に座って待っていました。しばらくして斎藤君が入って来ました。斎藤君の顔はニコニコしていました。きっと成績優秀者の中にわたしの名があるのに気づいたのです。彼はニコニコしながらわたしのほうに近寄ってきて、「順さん、すごいじゃん」と言いました。わたしは照れ笑いしました。「いやあ、びっくりしちゃったよ」とわたしは言いました。その後2人で授業を受けたのですが、授業中もわたしはそのことで少し興奮していました。本当に実力テストで一番なんて初めてだったのです。中学校に入ってからそのときに至るまで、一度もテストで一番をとったことなどありませんでした。大学現役合格が失敗してから、勉強に対する野心も消えすべてのことに無気力になっていたので、本当に思わぬことでびっくりしました。

 

さて、授業が終わり斎藤君と別れ、早速わたしは事務所のほうに成績表を取りに行きました。成績表をもらい手に取って見ると今まで見たこともないようなすばらしい成績でした。中学、高校時代に夢にまで見た一番でした。英、国、2科目合計で488人中1番、英、国、世界史、3科目合計で423人中1番でした。偏差値は74でした。こんなに高い偏差値は初めてでした。わたしはその成績表を見て、感動して、しばらく見とれていました。

 

そうしてやっとその成績表をしまい、家へと向かい始めました。道すがら足取りは軽かったです。そうして、さらにわたしは、うれしさの余り、スキップまでしてしまったのです。わたしはスキップまでしました。しかし、そのスキップは長くは続きませんでした。多分、ほんの3秒ぐらいだったと思います。ほんの2、3歩スキップしただけなのです。そうして次の瞬間---涙があふれてきました。わたしは既に立ち止まっていました。わたしは涙を止めることができませんでした。それは喜びの涙だったのでしょうか?とんでもない、わたしは無性に悲しくなったのです。わたしは悲しくて涙が出てきたのです。わたしはその時初めて、なんて自分は気の毒な人間なんだろうと思いました。なんて自分は悲しい存在なんだろうと思いました。わたしはこんな紙切れ一枚で、スキップまでする男なのか、と思い愕然としました。なんてバカな奴なんだろうと思いました。なんておめでたい奴なんだろうと思いました。今までオレが、こんなにも苦しんできたことは、一体何だったのか?こんな紙切れ一枚で、スキップまでしてしまうような、そんなくだらない苦しみだったのか。わたしはその時初めて、自分は本当に悲しい生き方をしていたということに気づきました。現役合格できるかどうかで、自分が人間であるかないかを決めてしまうような、そんな生き方が、何と愚かで、悲しいことか初めて分かりました。わたしは今までの自分を本当に気の毒な人間だったと思いました。中学に入ってから、点取り虫になって以来、実に7年間かかって、やっと自分が偏差値で自分の価値を測っていたということに気づき、そして偏差値で自分の価値までも決めてしまうことの愚かさが、そしてその悲しさが分かったのでした。わたしはその時初めて、自分が相対的な立場の上に立脚していたことに気づきました(※1)。自分が相対的なものに執着していたということに気づきました。そして、そう言った相対的なものに、それゆえ可変的な、現世的なものに執着することの悲しさを初めて知りました。人間は相対的なものに執着している限り、決して苦しみから逃れられることはできないんだ、ということに気づきました。なぜなら、そう言った相対的なものは常に変化してゆくからです。どんなにそれに執着しても、保持し続けることはできないのです(※2)。だから人間は相対的なものに依拠している限り、決して不安から、苦しみから、迷いから脱することはできないのです。わたしはそのことに初めて気づきました。そうして、だから人間は相対的でない何かに依拠してゆかなければ本当に幸せになることはできないということに気づきました。と同時にわたしは初めて劣等感というものの正体が分かりました。中3の時以来、あんなにもわたしを苦しめた劣等感というものの正体が分かりました。つまり、劣等感とは、優越感の裏返し以外の何物でもない、ということに初めて気づいたのです。今まで自分を頭の悪いダメ人間なんだって嘆き、常に劣等感に苦しんで来たその苦しみは、実は、自分は偉い、自分は人よりも優れていると思いたい優越意識の裏返しの感情以外の何物でもないということにやっと気づいたのです。いつも、人におとしめられていると思っていた被害意識は、実は常に人を自分より下に置きたいという優越意識の裏返しだったのです。つまり、相対的に人や自分を評価していたことの結果だったのです。その苦しみは相対的に人を見ていたことへの罰(※3)だったのかもしれません。わたしは7年間もの間、偏差値のとりこになり、劣等感(優越感)のとりこになり、相対性のとりこになっていたのでした。そして、あげくの果てに大学現役合格失敗 = 非人間というところまで行ってしまったのです。相対的に生きてゆくことの果てに非人間が待っていたのでした。わたしは相対的に生きることによって、その罪と罰を「いじめ」と「受験」において極端に体験したのだと思います。「いじめ」というものが、わたしを相対的に生きることの極端にまで追い詰めたのでした(※4)。そして、相対的に生きることの具体的なものとして「受験」があったのでした。そうして7年たってやっと相対的に生きることのばかばかしさを、そして悲しさを知ることができたのでした(※5)。

 

(※1)これはちょっと抽象的なことばが出てきてしまったので少しだけ補足します。「相対的な立場の上に立脚する」とは、ある現実を、ある基準に基づいて、順位付けする・優劣をつける・善悪判断することで、かつ、それをもってその現実自体を順位付けし・優劣をつけ・善悪判断してしまうということです。例えば、人(ある現実)を偏差値という基準に基づいて、順位付けし・優劣をつけ・善悪判断をし、かつ、それをもって偏差値が高い人を人間として(それ自体として)格(順位)が高く、優秀で、善人だ、と捉えてしまうことです。これが相対的な立場の上に立脚したあり方です。しかし、実際はこうです。偏差値が高いという事実は、その人は偏差値においてのみ優位であるということしか意味しておらず、それ以外の意味での優位を証明しないし、その人自体の優位については何も語るものではない、ということです。
わかりにくくてもどうか気にしないでください。ものわかりがいいというのは、決してその人自体の優位を意味するものではないですから。

(※2)「相対的なもの」とは、(順位・優劣・善悪)という意味で比較されうるもののことです。さしあたりすべての現実は何らかの基準を設けることによって「相対化され」(相対的なものにされ)ます。たとえば、人を偏差値という基準によって、順位付けすることができますし、社会人なら年収額という基準によって順位付けすることができます。そうして人は相対化(比較されうるものと)されるのです。

(※3)ここには、本来人間は比較されて価値づけされるようなものではないという人間理解がある。その理解から言えば、人をそれ自体として比較し、相対化することは、無礼なことであり、その人に対してすまないことをしていることになるのです。罰とは人に対してすまない生き方をしてきたことに対する罰です。

(※4)いじめ体験がわたしを偏差値競争社会に引きづり込んだのです。

(※5)なぜばかばかしいかといえば、それは追っても追っても決してゴールのくることのない競争だから。大学は一通過点に過ぎない。相対的な立場の上で競争している以上、ゴールはなく、いつまでたっても安心することができないのだ。しかし人は心安らいで初めて幸せ(ゴール)になるのではないか。なぜ悲しいかといえば、決してゴールに到着できないレース(相対主義のレース)を走っているにもかかわらず、あくまでもゴールにたどりつけると信じて走り続けているのだから。

 

こうしたことをわたしは涙を流しながらほとんど一瞬の内に理解することができました。その時、わたしはやっと長い間、わたしを苦しめてきた劣等感地獄から抜け出ることができたのでした。本当に苦しく長い時間だったと思います。分かってしまえば簡単なことなのかもしれませんが、それを本当に知ることができるようになるには、口に出しては表現できないような苦しみを味わわなければならなかったのです。

 

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