27. 居場所が見つかる

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

27. 居場所が見つかる

後期(9月~)にはいって状況に大きな変化が起こりました。1つには8月に実力テストが予備校であったのですが、わたしは何かの理由でそれを受けませんでした(多分大した理由ではなかったように思います、もうどうでもいいという気持ちがあったのです)。そのテストは後期からのクラス(学力別に10クラス位ありました)を決める重要なテストでした。そのテストをわたしは受けませんでした。その結果わたしはDクラスに落ちてしまったのです(前期、わたしは一番上のAクラスにいました)。それと同時にHクラスにいた高校2、3年生の時の同級生だった斎藤君がDクラスに浮上してきました。彼と同じクラスになることができたのです。このことは少なくともわたしの大学合格に非常に大きな影響を与えました(助けとなりました)。もっと言えば、わたしは斎藤君と一緒のクラスになれたおかげで上智大学に合格することができたといえると思います。

 

この斎藤君は実に個性的な人で、高校時代から目立った存在だったのですが、高校時代は縁がなく、実際はほとんど話したり接したりすることはありませんでした。それが予備校でクラスが同じになって元同級生だということで何回か接しているうちに本当に仲良くなってしまいました。彼にもわたしの自閉性や劣等感を気にしない無頓着さと、包容力がありました。自然とクラスの席に座るときは、いつも彼と一緒に座るようになり、休み時間も彼と話すようになりました。わたしは斎藤君に会って、親しくなって、初めて予備校の中で居場所を見つけることができました。居場所というものは、単に物理的な場所を指して言っているのではありません。自分と一緒に空間を共有してくれる相手がいて、互いの心の交流のなされる場、それこそ人間にとって本来的な意味で「居場所」と言えるのではないでしょうか。こうしてやっと友達が1人もいないという孤独な状態から突破することができました。予備校時代、最後まで友達は斎藤君だけでしたが、斎藤君がいる、わたしと話をしてくれ、わたしを受け入れてくれる人がいる、というだけでもう十分なのでした。何が十分なのかといわれると、はっきり言えないのですが、とにかく斎藤君がいてくれたことが、当時のわたしを救ってくれた、生かしてくれたのです。

 

こうして斎藤君との出会いは勉強する意欲のなくなっていたわたしに少しだけ頑張る元気を与えてくれたのでした。後期に入って勉強がある程度できるようになったのは斎藤君のお陰なのです。しかし、又、この斎藤君との出会いもラッキーであったと言えると思います。これがラッキーであったということも、後になってもっと思い知らされることになりました。つまり、友達ができたのは、わたしの力ではなく、偶然に与えられただけであり、その自閉性においてはほとんど変わりなかったのです。

 

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