20. 家族①・・・親に言えない理由

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

20. 家族①・・・親に言えない理由

中3以降、大学2年に至るまでの家族との付き合いについて書いてみたいと思います。

 

まずいじめられた10か月間のことですが、その間(実は現在に至るまで(※))、わたしがいじめられていたことは親には絶対言えませんでした。それは当時のわたしにとって最も恐ろしいことの1つでした。これは、後に精神科に行くようになってから、医師に言われたことなのですが、何で親に言えないか不思議だというのです。これはもしかしたら、多くの人が持つ疑問かもしれません。わたしにとっても、親に言えないということはどうしてなのか長い間分かりませんでした。しかし、精神科に通うようになって1年くらいたった時に、やっとその理由がわたしの中ではっきりしてきました。それについて書いてみたいと思います。

 

(※)現在とは、この文章を書いた23歳当時ということです。

 

まず第一に考えられるのは、親に言いつけたことが後でバレて報復されるのが恐ろしかった、というのがあると思います。これは多くのいじめられているひとに当てはまることだと思いますが、恐怖心にとらわれてしまうと、たとえそれが親であっても救ってくれはしないのだ、と思ってしまうのです。徹底していじめられ踏みにじられてしまうと、いじめられている人間にとっていじめている人間が、ある種の神のような絶対的な存在に見えてくることがあるのです。相手が神である以上、親であっても自分を守ることはできないし、報復の魔の手からは、どんなことがあっても逃れることはできないのだ、と思い込んでしまうのです。密告はすなわち死を意味するのです。そう叩き込まれたのです。だから、本当に恐怖心を植え付けられてしまうと、その人を救うのは非常に難しくなるのです。いじめられたかと聞かれてもNOと言うし、かといって恐怖心をもったまま生きれるかというと、それもできず、どうしていいのか分からないのです。だから誰かに助けてもらいたいのです。しかし、自分から救いを求めること(つまりいじめの事実を人に知られること)はその人にとって最も恐ろしいことであって決してできないのです。だから恐怖心にかられてしまうことは、最悪なのです。わたしもまた恐怖心にかられ、誰にも言えず長い間生きてきた内の1人なのです。

 

しかし、過去のことがあってから8年という歳月が流れました。しかし、それでもなおわたしはそのことを親に言えないでいるのです。言いたくないのです。こういう気持ちは、恐怖心だけでは説明できるものではないように思います。そして、やっとそれに対する答えが分かったように思います。それは、わたしはいじめによって恐怖心を植え付けられたと同時に、自分はクズだ、という意識をも植え付けられたというところにあるように思います。自分はダメ人間であるということを信じ込まされたということです。

 

普通、人に助けを求める場合、既に前提として自分の正当性が主張されているのです。つまり、人に助けを求める場合、自分は正しいのに、不当に迫害を受けた、助けて、という風になるわけです。しかし自分がクズだと思いこんでいる場合、自分はクズだから、いじめられている、助けて、ということになるのです。しかしこれは成り立たないのです。自分がクズであるなら、いじめられるというのは当然なことであって、何も文句は言えないのですから。しかし、これが大問題なのです。自分の正当性を主張できなければ、誰にも助けを求めることはできないのです。あらゆる救済の道は閉ざされてしまうのです。しかも、それが自分を愛してくれている人、大切にしてくれる人であれば、なおさら、自分はクズです、なんて言えないのです。親に自分はクズです、と言うことは、わたしにとっては、親を踏みにじるのと同じことでした。子が踏みにじられたということは、同時に親が踏みにじられたことになるのです。親の方から見れば、かわいい子供が踏みにじられたと聞けば、まずは怒りを覚えるのが先で、自分が傷つけられたなどと考える余地はないかもしれませんが、子にとって自分はクズだ、という事実(※)は同時に親を傷つけることになるのです。ましてや子が親のことを愛していればなおさらそう思ってしまうのです。だから恐怖心に駆られるのと同時に、自分はクズだと思いこんでしまうことも、いじめにとって、最も救い難い最悪のパターンだと言えると思います。

 

(※)そう本人が思いこんでしまっている場合、つまりわたしの場合。

 

この恐怖心に駆られることと、自己肯定ができないこと、つまり自己否定が以降のわたしの人生に長く猛威を振るったものなのでした。こういった理由で、今でも(※1)、その傷のために親に過去あったことを話せずにいるのですが、中3の当時も、それ以降も、わたしを支えてくれたのは、親がわたしを大切にしてくれたこと、つまり親の愛であったと思います。親に愛されているという認識が、わたしを今まで何とか生かしてくれていたのだと思います。哲学者ニーチェ曰く、「生きることに内容、つまり理由がある人は、ほとんどどのような状態にも耐えることができる」というのは真実だと思います。自殺とは自分を愛してくれている人に対する最大の踏みにじりです。自殺ほど、愛してくれている人を侮辱することはないのです(※2)。わたしは幸いにも親に大切にしてもらっているという認識をすでに十分にもっていたので、それがわたしを決して死に向かわせなかったのだと思います。だから、当時は親に知られまいとして、何もなかった風を装っていました。そして少なくとも大学2年までは、親にわたしの暗い過去について何も気づかれずに過ぎていったと思います。

 

(※1)23歳当時

(※2)少なくとも当時の、いじめ後のわたしにはそう思えた。

 

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