02. 都立のトップ校

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

02. 都立のトップ校

さて第一志望の戸山高校ですが、これも都立のトップ校であり、やはり平凡な頭の持ち主では入るのが難しいのです。わたしはこの高校に進学することになるのですが、それじゃあわたしは頭が良いのかというとそうではありません。わたしは運がよかったのだと思っています。

 

戸山高校は、内申点(通信簿の成績)と学力テストで判定するのですが、普通の人はまず内申点で足切りされてしまいます。3年の2学期の成績が内申として提出されるのですが、わたしはそのとき内申点44だったと思います。これは学年トップの成績でした。しかしこれはラッキーで、44をとれたのは後にも先にもこの時だけです。
そのときわたしは、音楽と体育が5だったのです。本当に音楽と体育が5だったのは、そのときだけだったのです。特に運がよかったのは、体育です。わたしはずっと体育が苦手でした。わたしは球技と水泳が大の苦手でした。だからいつも3かよくても4でした。2学期というのは、9月の間は水泳をやり、10月以降は球技をやることが通例だったのですが、その年は水不足でほとんど水泳はやれませんでした。しかもその年から2学期後半は、球技ではなく器械体操をやることになったのです。これはちょうどその年からやることになったのですが、実はわたしは器械体操だけは大の得意でした。ほんとうにラッキーでした。それでこの2学期だけは5をとることができたのです。音楽についても似たようなものだったのです。こうしていくつかのラッキーが重なって内申点44をとることができたのです。

 

しかしさらにラッキーなことがありました。 それは内申点には丸得制度というのがあったのです。これは学業以外で部活や生徒会などで活躍したひとに特別にプラス3点加算されるというものです。わたしはラッキーにもこの3点の該当者になったようなのです。

 

わたしは何をやったかというと演劇部部長、卓球部部長、生徒会役員をやっていたのです。しかし、これとて偶然なっただけなのです。別にわたしが優秀だからなったわけではないのです。事情をいえば、演劇部は2年の段階で男子わたし1人、女子5人という構成だったのです。だから男だということで部長にされただけなのです。実質的にはほとんど女子が仕切っていました。卓球部もほとんど同じ状況でした。男子は3人いたのですが、わたし以外ほとんど幽霊部員で、後は女子3人だけだったので、先輩の指示で男のわたしがやることになったのです。わたしに決してリーダーシップがあった訳でもなく、卓球がうまかったわけでもないのです。同じ代の女子のだれにも勝てず、後輩の男子よりも弱かったのです。はっきり言ってわたしはダメ部長だったのです(しかも3年生になってから「彼」が卓球部に転部してきて、わたしは彼の勝手な振る舞いに何もできず呆然と立ち尽くすことしかできませんでした、もちろん部長としての面子(メンツ)もボロボロです)。ただ肩書だけなのです。実質が伴わないのです。生徒会役員もそうでした。担任の先生におだてられて立候補しました。わたしは総務という役職に立候補したのですが、このときも立候補したのはわたしと女子ひとりだけだったのです。一応全校生徒の前で立会演説会をやったのですが、やはり男と女では、よっぽど男がだめでないかぎり、男がとおる確率が高いと思います(少なくても当時は)。それで結局わたしが当選したというわけです。これとてほとんど中身などないのです。中学校の生徒会などほとんど先生のロボットです。ただ先生にいわれたことをはいはいと言ってやっていればそれでよかったのです。自分ではほとんど何も考えていなかったのです(※)。

 

こうした偶然がいくつか重なって、それで内申点47を得点できたのです。しかし、その実質はといえば空虚なものでただのラッキーだったというよりほかありません。
もし、あのころのわたしに評価を与えるとすれば、真面目な中学生だった、ということしかありません。この真面目さがわたしに幾つかの偶然(ラッキー)を生み出させたといえると思います。しかし、この真面目さとて、別に取るに足るものではないのです。当時のわたしの真面目さなど、しょせん功名心、つまりカッコ付けたがり屋の「見せかけのもの」だったのです。当時のわたしはカッコつけマン以外の何物でもなかったのです。決してそれは、本当の真面目さなどではなかったのでした。

 

(※) 若干自分のことなのできつい言い方をしていますが、たとえ先生の言いなりで動いているだけだとしても、生徒会の活動は、学業や部活では体験できないことをやらせてもらえるので、経験という意味では価値はあります。またたとえその真面目さが表面的な浅薄なものであろうと、そのおかげでさまざまな機会が与えられたのだとしたらその真面目さもあながち馬鹿にはできないものがあり、機会に恵まれたという意味では、真面目な中学生でよかったと今は思えます。

 

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