19. 演劇の恩恵

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

19. 演劇の恩恵

高校時代のわたしを支えたものを2つ挙げるとすれば、1つは大学現役合格の希望でした。しかし、これはのめり込めばのめり込むほど、わたしを苦しくさせました。そして苦しいから余計一層勉強してしまうという悪循環をもたらしました。いわばマイナスの意味でわたしを支えたものと言えます。いや、支えたというよりも脅迫したと言った方がよいかもしれません。もう1つは演劇部でした。暗い過去に脅迫されながら、演劇は唯一それから解放してくれるものでした。本当の意味でわたしを支えてくれたのは、演劇なのでした。

 

演劇には多大な恩恵を受けました。というよりも演劇がわたしに与えられていたということがもっともラッキーなことだったと言えるかもしれません。それは表現する場が与えられていた、ということだと思います。わたしは過去の体験から非常に自閉的な人間になってしまいました。非常に暗い人間になってしまいました。高校の同級生でも一部の人を除いては、ほとんどしゃべることができませんでした。過去のことが起こる前は全然違っていました。わたしはもともとおしゃべりな人間なのです。わたしはもともとひょうきんな人間なのです。いつも周りの人を笑わせて喜んでいるような人間でした。しかし過去のことがあって以来、非常に自閉的になってしまいました。話をすることができなくなってしまいました。いつも不安と恐怖でおびえていました。他人に自分を知られることが最も恐ろしいことになってしまいました。日常生活の中で自己を表現することができなくなってしまったのです。

 

そういう状態にあって唯一自己を表現することができる場として芝居がありました。舞台の上でなら自分を出すことができました。舞台の上でならひょうきんなお調子者になれたのです。そのことが一層、わたしの演劇部に対する情熱を盛り上げたのでした。もしわたしが演劇部に入っていなかったら、もし演劇と出会っていなかったら、わたしは高校を3年間で卒業できなかったと思います。高校にゆけなくなってしまったように思います。わたしはある時、加藤君に「僕は演劇部に入っていなかったら、生きてゆけなかったよ」と言ったことがあるのですが、彼は「大げさだなあ」と言いました。けれどもそれは決して大げさではありませんでした。それは、高校を卒業してから3年後に明らかになりました。そのことについては、また後で書きたいと思います。

 

この唯一自己表現の場として芝居というものは、わたしにとって本当にかけがえのないものでした。人間は本能的に自己を表現せずにはいられない動物なのです。そういう場が、その人に与えられていないということは、人間にとって最も不自然なことなのです。もし与えられていないとしたら、それは、その人に無理を強要することになるのだと思います。その無理ということが、わたしの場合、演劇部を引退して受験勉強一辺倒になった時、ひとつの兆候として如実に現れました。それは、眉間のしわでした。自己を表現する場がなくなり、なおかつ、現役合格できない奴はクズだと自分を追い詰めながら勉強していた無理が、眉間のしわとなって現われたのです。高校3年の4月に引退公演を終えて受験勉強に専念するようになってから、以降3年間、わたしは1日だって眉間にしわが寄らなかったことはありませんでした。しわが寄り始めた当時は、そのことに気づきませんでしたが、今考えてみると明らかにそれは無理をした結果として現われたものでした。ほとんど1日中眉間にしわが寄っていました。気がつくと眉間にしわが寄っていました。わたしは眉間にしわを寄せながら勉強していました。その眉間のしわを原動力として勉強していたのです。

 

しかし、こうした状況は、無理でありそもそも間違ったあり方だったのです。しかし、当時のわたしはそういう状況をどうすることもできませんでした。

 

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