01. 闘病生活の意味①・・・意味(価値)の本質

いじめトラウマを生き抜く方法

過去のいじめで苦しんでいる(いじめ後遺症の)あなたへ。いじめ後遺症うつ病者本人が、自身の、いじめ体験・いじめトラウマ体験・うつ病闘病体験について語ります。いかにトラウマを生き抜くかを考えます。いじめ自助グループ、トラウマ無料スカイプ相談など。

01. 闘病生活の意味①・・・意味(価値)の本質

ただ苦しいだけの闘病生活に、これに耐えるだけの意味があるのか?

 

この問いに対する答えを追っかけるために、わたしはまず、そもそも「意味」ということで、わたし達は一体何を考えているのか、ということから解明してゆきたいと思います。

 

ふつうわたし達がいう意味(価値)(※)とは何のことでしょうか。

 

意味(価値)とはさしあたり「相対的意味(価値)」のことです。つまり自分に認知されている(気付かれている)意味(価値)とは相対的意味(価値)のみです。では相対的意味(価値)とは何のことでしょう。それは他との関係の中での(比較可能な)意味(価値)のことです。

 

(※)意味と価値とは、対概念です。意味があるとき価値があり、価値があるとき意味もあるのです。意味は価値実現のための道具であり、価値は意味するところ(道具)の目的となります。そして、道具は、道具である限り、価値実現のために役に立つのだから、そういうものとして価値あるものなのです。

 

(例)コップの意味とは、人が水を飲むための道具、として理解することができます。またそういうものとして価値があります。そして今あげたコップの意味は、人と水という「他なるもの」との関係において定義されているものです。いわゆる、他と何の関係もなく、それ自体としての意味は何か、と問うたら、わたし達はコップの意味を答えることができないのではないでしょうか。

 

また「比較可能な価値」ということで言えば、例えば、ただのガラスのコップの場合は、水やジュースを飲むことにしか使用できないけれど、マグカップの場合は、熱いお茶やコーヒーなどを飲むのにも使用できてコップよりも使用の幅が広く、その意味で人がものを飲む道具としてより(比較的)価値が高いと言えます。つまりコップ、マグカップのように、一つの価値のための道具となるものは、他(の道具)と比較されることによって、その価値の高低を評価されるのです。そしてわたし達の身の回りにあるものには、ただそれだけというものはほとんどなく、大抵の場合、一つの価値に対して様々な道具があり、わたし達は他との比較においてそのものの価値を評価しているのです。

 

つまりわたし達が何かあるものの「意味」をいう時、それは、他との関係において、道具という意味でそれを考えているのであり、そういうものとして価値あるものとみているのです。同時にそれらは、他と比較されることによって、相対的に評価されているのです。

 

このようにわたし達に認知されている意味(価値)の本質とはさしあたり、相対的意味(価値)のことなのです。

 

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